言葉の裏には根本思想が隠れている?

先月のブログでも紹介させて頂いた文章表現・コミュニケーションインストラクター山田ズーニーさんの話。

文章を書く際の「訓練と勇気と」

私はいいなぁと思ったコラムなどは保存し、時々読み返しておりますが、毎日ブログを書いたり人の文章を読んだりしながら考えていることがあって、これわかる!というコラムあり。

こんな風に端的に言葉にできるって本当に凄い。

「くれ文」から「与え文」へ

《人に「ありがとう」を伝えるのは難しい。

無意識の欲がでるのを、私たちは無意識だけに抑えられない。

たとえば、昔世話になった先輩に感謝の手紙を書く、こんなとき、
「立派な先輩に、私はずいぶんいろいろ
教えていただきました。ありがとうございます。先輩に、あんなにいろいろ教えていただいたのに、私は、失敗ばかりで、何一つ恩返しができなくて、自分で自分が情けなくなります。
この先、先輩の仕事を引き継いでやっていけるのかどうか、その資格がないんじゃないか、とふがいないです…」

と、ついこんな文章を書きがちだ。
私だって、そんなことはしょっちゅうだ。

でも、これは、相手に感謝を言っているようで根底では、

「いま仕事で不安な自分をわかってくれ」
「慰めてくれ」
「優しい言葉のひとつもかけてくれ」
「へこんだ自分に元気をくれ」
と言っている。

もらった人は、「嬉しい気持ち」もそこそこに、必死で「慰めのための文案」をひねり出さねばならなくなる。

そこで、もらおうとするか? それでも与えようとするか?

無意識だけに、人間の本性は
ときにあさましいものがある。》

これまでを振り返ると、こういうことって思いあたることはありますね^^;

逆に受け取る側も。

コラムの締めを心にとめて書かねば、です。

《その文章、根底で「くれくれ」言っていないか?
ささやかでも何か「与える文章」になっているだろうか?》

文章を書くということは、常に自分の根本思想との向き合いですね。

訓練訓練。

今年に入っての新しいコラムもかなり頷く内容でした↓(過去のコラムも読めますのでぜひ)

ほぼ日刊イトイ新聞 山田ズーニー「おとなの小論文教室 《感じる・考える・伝わる!》」

早いもので2019年に入って1ヶ月経ち、2月突入です。

寒さに負けず頑張っていきまっしょい!

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