「昔の曲は絶対にやらない!」
津軽三味線を持ちながら言い放つ私の言葉に、またか…と潔く諦めたような表情のまま、電子ピアノから手を下ろし冷ややかな目線を送る妻。
2017年の一月が終わろうとしている時期の、岡山某所のリハーサルスタジオでの一件である。
そもそもの事の発端は、昨年に遡る。
翌朝からの津軽三味線の和歌山教室でのレッスンに備え、地元の岡山から高速道路を走行していた夜の事。
昔やっていたロックバンドの所属事務所の社長から突然メッセージが入ってきた。
僕と同い年であるこの社長からのメッセージ自体は珍しくも感じないが、年末の挨拶にも早すぎる中途半端なこの時期…まさか知り合いに何か起きたのか?
何かあれば不幸な知らせかもしれないと勘繰ってしまうのは、40歳間近の年頃だからかもしれない。気になってしまい近くのサービスエリアに入り、メッセージを読む事にした。
「タイバンの形式でクアトロあたりで櫻根座でやったりするかね」
それは予想外のライブ出演の依頼だった。
東京を離れ岡山で津軽三味線のレッスンをしている私にわざわざ依頼してくるなんて、遂に事務所を畳む最後のイベントでも開催するんだろうか…と、心配しながらメッセージでのやりとりをしてみる。
「私事で30代最後の日、音楽業界20年の節目で。
ゆかりのアーティストでやりたいと思っててね。
今から用意したらできそうだなあと。」
黒眼がデカいこの社長の発想は、とてもメルヘンだ。散々不幸な事を心配し、肩透かしを食らった私は、即答はせず返事は後日に持ち越す事にした。
…疲れたから続く(続かないかもしれんけど)